2017/05/26

インド旅行記 一人旅 06 カトマンズ/ ポカラ/ 昆明

インド旅行記の続きです。
(この記事は6頁編成です。この頁は6/6頁目です)




DAY46 /KathmanduPokhara (4/3)


無事ネパールINしてから
バスでポカラへ移動した。






ポカラは空気がとても綺麗で澄んでいて、自然が多くて
リラックスできる場所だった。

特に朝の空気は白く透明で、レイクサイドの散歩は
心落ち着かせてくれるものだった。











DAY47,48 /Pokhara (4/4,5)

ボートで湖を渡り、日本人が建てた
山頂のストゥーパへ。





























DAY47 /Pokhara→
Kathmandu (4/5)




ポカラからカトマンズまでバスで移動。








カトマンズ到着。




カトマンズには友人が住んでいる。

facebookで電話して、合流した。





彼は今こっちでレストランとゲストハウス開業の準備中で
さらに元々彼のブランドである「FUTENG」(フーテン)の運営と、
絵描きとしての絵画オーダーで忙しくしていたけれど

こっちで泊まる宿を手配してくれたり、
こっちで使える携帯電話を持たせてくれたり、

彼には至れり尽くせりケアしてもらった。









その友人である陽一くんに連れていってもらった
食堂の「トゥクパ」(Thukpa)という料理の
美味しさが感動的過ぎた。



グルガオンの病院で出てきた料理
よりも病院食らしく、


ガヤの日本食レストランで食べた
料理よりも日本食らしく、


野菜たっぷりで優しい味付けに
病上がりのカラダが喜んでいた。






陽一君曰く、おっさんとおばさんが居て
2人ともトゥクパを作れるけど、
断然おばさんの方が美味しいらしい。


おばさんが作ったトゥクパを食べながら彼は
「この味は、おっさんには出せへん」
と言っていた。



トゥクパ
100ルピー(90)








カトマンズではインドで付いた泥を落とすように
ギンギンに張りつめた気を緩めるように、

病後の療養も含め、リラックスして過ごした。







友人がリコメンドしてくれたプリン屋にも行った。




プリン = 商品名:Cream Caramel(クリームキャラメル)」

120 Rs (130
) 美味。

■SNOW MAN CAFE
住所: 95 Nhusha Marg,Jhochhen,kathmandu,Nepal
電話: 977 1 4246606

営業時間: 8:0020:00



















DAY53 /KathmanduKunming (4/10)

空港に向かうタクシーの窓から
自転車に乗って帰る陽一君が
横を通ったので窓をあけて
手を振り見送った。

カトマンズの喧騒の中に消え、
明日も明後日も当たり前のように
こっちで生活していく友人を
めちゃくちゃ尊敬している。











カトマンズ → 昆明

(中国東方航空 MU便)



昆明、到着。





空港の出口から出た途端34人に柵越しに
パンフレットを見せられながらの
宿の勧誘があったが、全部無視した。

明日のフライトまで空港泊しようと思ったけど
クンミの空港は泊まるとこもなく、
空港が24時間オープンではないので
お店も閉まっていく。

歩き回ってからパンフレット勧誘野郎達の
居た場所まで戻ると、そいつらはもう
いなかった。

すると女性2人が話しかけてきた。

宿の勧誘だったので、交渉した。

インドから出たばかりで
ギラギラモードが抜けなかったので
それなりに尖った態度で応じて
条件や値段も高圧的に念押ししたけど
大丈夫そうだったのでそいつらに
ついていき迎えのタクシーまで歩いた。

交渉してきた女性に予防線として 
「あなたも宿まで当然付いてくるよね?」
と訊いて、「もちろんいくわ。」
と答えた方の女が電話で呼び出された風に
消えたあたりから不安になった。

残された方は消えた方の女いわく
妹らしい。その妹は耳が聞こえない。
何を聞いても首を振って口元に×印を
作った。


駐車場に、怪しくハイテンションな
小太りのドライバーがきた。

その男は耳の聞こえない妹と
何か言い争っていたが、
気にせず黒いバンに乗り込んだ。


耳の聞こえない彼女は
その車には乗り込まなかったが、

代わりに自分のスマホに
小声で何かを吹き込み、
英語の翻訳モードの自動音声にして
こちらに聞かせるために近づけてきた。


早口な機械音声から
welcome to china」と
きこえた。


彼女はそれを聞かせると
満足げに微笑み、どこかへ消えた。

多分、姉の元へ。




ドライバーと2人きりになった。
話しかけると、目を大きく見開き
自分の話を聞いてはくれるが
英語はわからないという表情で
バリバリの中国語で返してくるので
話にならなかった。


そのドライバーが運転する
黒いハイエースは
空港から宿へ向かって走り出して
すぐに途中の大きな道の路肩で
止まった。

明らかに途中だったので
意味がわからなかった。

何で止まるの?宿はどこ?
といっても伝らず、
そのドライバーは僕の隣に座り、
大きな喫煙具を出してきて一服しだした。

もう最悪や、とおもった。
この流れは嫌な予感しかしない。


その後すぐ、ドライバー仲間なのか
同じようなハイエースが2台くらい
近くに止まったかと思うと
そいつらのとこにいき
タブレットの動画を見ながら
笑いあっていた。

新たに来た2人も英語は喋れず
「アイドンノー ー イングリーッシュ!」
と変顔で叫んだ後、ケラケラ笑いだした。


やばい状況だと思い、
自分のドライバーの腕を掴み
運転席まで連れて帰り
「早く運転しろ!宿まで連れてけ!」
と言うと、わかったわかったー
と渋々、運転再開した。


宿に着いてから
ドライバーは次の獲物を狙いにか
仲間と喋りにか、自分を降ろしたあとに
すぐ消えていた。


中国の昆明の夜の街並みは
赤や緑を基調としたネオンカラーで
かっこよかった。

香港映画独特のムーディーな
空気を少し嗅げた気がして
テンションがあがり荷物を置いてから
夜の散歩に出掛けた。

夜中やのにお店はあいていて
人は起きていた。















串焼きを食いながら
外で座っていたら
あのドライバーが帰って来た。

自分の存在に気付き、
近くまで寄ってきて車から
「乗れよ!一緒にいこーぜ」
みたいな事を言っていた。(と思う)

新しい客の送迎に付き合えという意味か
仲間のとこにいこーぜかはわからない。


首を振って断って
手を振って見送った。


DAY54 /KunmingOsaka (4.11)

4:10にそのクレイジーハイな
彼に叩き起こされた。

借金取りみたく全部屋のドアを
バンバン叩きながら
上階へと階段をドタバタと
駆け上がっていった。

夜通し起きていて
元気な奴だなーと思った。



ロビーに降りると自分と同じ境遇の
カモ被害者が20人くらい居た。








1台目に来たハイエースに
とりあえず荷物を積んだ。

人の多さと車の大きさとを見て、

半数は乗車するハイエースまで歩き、
半数は乗車を諦めて宿の入口に残った。

1台目の乗車組みがゾロゾロ
順番に乗っていき、
7人くらい乗ったところで
自分の乗る番が来て
詰めて乗るか次の車に乗るか
迷っていたら、あのドライバーが
来て早口な中国語で何か言っていた。


待機組みに向かって手を振り
「お前らも乗れよ」

乗車組みにも
「もっと詰めろ」と

捲し立て
シート1列に荷物を持った
大の大人を8人くらい乗せた。

こんなのまだまだ序の口やと言わんばかりに
ケツを叩くようにバンバン詰め込んでいった。
彼は楽しそうに怒っていた。


結局、9人乗りの普通のハイエース
20人くらい詰まった。

詰めたら結構入るものなんだ、と
冷静に腑に落ちた。


昔テレビでやっていた、
普通のセダン車から延々と人が降りてくる
マジックショーみたいな映像を思い出した。

車の下に実はマンホールか何かあって
その中を通じて人が出てくる仕掛けだと
思っていた。


でも今の状況では、タネも仕掛けもなく、

「ぎゅうぎゅう詰めの限界域を超える」
というただの地味な力技だった。

自分はドアに近い方のシートの
2列目?2段目?(誰かの上に乗る方)
として詰められた。
運転席(左ハンドル)の真後ろだった。

車内のルーフライニングにも顔が近々で
誰かしらの体に四肢が絡み、
首が撚れない状態で宙に浮いていた。

車内に籠った湿った匂いと密着感で
小気味悪かった。


運転席のヘッドレストに捕まり
首と身体を無理やり捻って前を向き、
そのままヘッドレストにしがみついて
誰かの膝上から少しでも体を浮かせてキープさせ
体重の負荷を軽減させた。

ドライバーが最後に僕のまん前の
運転席に乗りこんできた。

車内がパンパン過ぎて
彼が乗る運転席側にも
助手席のおばさんの胴体が
運転席側の領域にハミ出ていた。

彼は自分の運転席は聖域だと言わんばかりに
そのおばさんの体を助手席の方に
無理やり手で押しやってから
同じく運転席に侵入していた荷物を
助手席に投げ飛ばしていた。

高齢者の夫婦や女性は
ドン引きしていた。

後ろの席なんて天井まで届く量の
荷物でその状況すら見れない漆黒だった。


高速に乗って空港に向かって
飛ばしてる最中も
彼は窓をあけ一服しながら
中国語の歌を口ずさみ
終始、楽しそうだった。

この仕事は彼にとっての
「天職」なんだな、と思った。

色んな感情を通り越して
もう「爽快」だった。

ただ、こいつはいったい
いつ寝てるんだろう、と思った。笑


次に来たときもどうか彼には
ドライバーをやっていてほしい
そして宿まで送迎してほしい
もっとパンパンになろうが構わない
またハイなテンションで迎えてほしい

中国はインド人の客引きやペテン師とは
当然ながらノリの種類が異なるので
同じ対応は通用しなかったり
英語も通じなかったりで
旅をしたらインド以上にタフに
なるのでは。と思った。



この後、無事飛行機に乗れて
大阪まで無事に辿り着きました。






また不定期ではありますが
海外に渡航した際には記事を
綴りたいとおもっています。





拙いムラある旅行紀だったと思いますが

最後まで読んで頂きありがとうございました。


少しですが、インスタグラムにも今回の旅の動画や他の写真も載せていますので
もし良ければそちらも覗いてみて下さい。


ありがとうございました。