2017/05/13

インド旅行記 一人旅 05 デリー/ グルガオン

インド旅行記の続きです。
(この記事は6頁編成です。この頁は5/6頁目です)

コーチンからデリー行きの列車に
乗ったところです。




●DAY37 /Cochin→Delhi (3.25)

列車に乗ってから
熱っぽくてしんどかった。

頭や顔も熱くて寝てもすぐ
目覚めて中々寝付けなかった。

でも氷や食当たりの心当たりが
全然なかったので不思議だった。

食欲もないので車内販売は断り
頭痛薬を飲んでUNIQLO
ウルトラライトダウンを着込み
靴下を履いて布にくるまっていた。

何か食べないといけないので
駅に降りてフルーツを探しにいった。

駅に降りて歩いたとき、
頭がガンガン揺れて
視界がグニャグニャして
症状の重みに少し驚いた。

気温の暑さで景色が歪んで見えるのか
体調のせいなのか、グニャグニャだった。






バナナがなくて、細長い粒のマスカットのパチモン
みたいなものしか手に入らなかったけど、

仕方なくそれを食べて、ビタミンサプリと頭痛薬を飲んで
ベッドに横になっていた。




身体の熱さと寝心地の悪さで
夜中に目がさめてトイレにいった。

鏡を見て衝撃が走った
ビックリして二度見するくらい
自分の顔が赤い斑点だらけだった。

Tシャツをめくると胸や腹も赤の
謎の斑点があった。

最初はビタミンサプリと頭痛薬の
相性が悪くて変な化学反応が出た
のかと思った。

それとも南京虫か?今更?
くるまっていた布はハンピ以降
ずっと使っている。
色々、勘ぐった。


熱があるだけでしんどいのに
頭痛と眼窩痛(眼の奥の痛み)もあって
顔と体もこの発疹のせいで熱くて痒い


体内の成分を入れ替えて
自然治癒させたかったけど
便はおろか尿も出なかった。

自分の体は一体どうしたんだろう
と焦った。


何か食べないといよいよやばいと思った。

果物か野菜スープとかが欲しかったけど
そんな都合の良いワガママが
ここインドで、しかも列車移動中に
通用するはずはなかった。

車内販売はマサラやカレーなどで
いまの気分で食べれそうなものは
なかった。

バナナを持ってる乗客を探すしかなく、
車両間をフラフラと歩いていっては
バナナを持ってないか聞いて回った。

乗客には顔を指さされ
「お前、その顔どうしたんだ?」
と言われた。

誰に何を言われても
im sick. give me a banana
とキレ気味で返した。

喋るのも頭を使うのも、
一杯一杯だった。


誰もバナナを持ってなくて
結果、食べれずだった。

乗車前にバナナを買い込まなかった
自分を激しく悔いた。


列車移動中は食べたいものを選べない
食べたいタイミングで食べれない、
それは仕方ない事なんだけど、

それが48時間以上の移動で、
発熱中となったら話は別で
かなり危険な死活問題だと思った。

インドには色んな病人がそこら中に
座ったり寝たりしてるから今の自分なんて
誰の心配にも及ばない。








連結部のドア前に座り込んだ。


サンダルの上を這うゴキブリを眺めながら
絶望的な気持ちになった。


いつの間に乗車したのだろうか
穴だらけの服を着た黒く汚れた顔の少年が
靴底を売りにくる。

この少年は小銭を稼いだとして、どこで降りるのだろう。
母親にお金を渡すために、乗った駅まで歩いて戻るのだろうか。




反対側のドアを見ると
バンダナを巻いたボロボロの乞食が
ビニール袋一杯にたんまり入った葉を
ブツブツ独り言を言いながら
ペーパーで嬉しそうに巻いていた。

巻き終わった新しい一本を指に挟んだ手をあげて
何か言っていた。

何を言っていたのかはわからない。






●DAY38 /Cochin→Delhi (3.26)

列車を降りる前に鏡を見た。
顔のブツブツは悪化していた。
体温計はないけど明らかに高熱だった。


デリーのニザムディン駅に着いたら
人の多さと気温の暑さに絶望的な
気持ちになった。

直ぐに駅のホームに倒れ込みたかったけど
何とか堪えてどこかわからない出口に
向かって人混みを掻き分けながら
トボトボ歩いた。

とりあえず宿で休みたかった。

カモられても構わない。
このままでは倒れると思い
悪そうなタクシードライバーの
手招きに応じて素直に車に乗ると、
やはり悪者だったので違う場所に
連れてかれたので途中で降りた。

その辺のトゥクトゥクもつかまらず
困っているとツアー会社の男に
事務所に連れてかれた。

カードが切れたのでその男に
4泊分宿をとってもらった。

エアコン付きの一泊1000Rs以上する
良い部屋だけど、安宿に泊まったら
体調が悪化するのは目に見えていたので
そこにした。悩んでる余裕もなかったし
今の状況に選択の余地はなかった。


紹介された宿まで行き
無理やりシャワーを浴びた。

変なものを全部洗い落としたかった。


最初はダニか南京虫に刺されまくったのと思い
寝るときにくるまっていた布や列車の中で
着てた服を隔離した。

いっその事、その布と服を入れていた
バックパックの中身をひっくり返して
全部洗濯したかった。

原因がわからず恐かった。

近くの薬局に自分の体を見せたが
薬は無い、医者に行け
と言われた。

仕方なくバナナを食べて
様子を見てたけど、
時間と共に悪化していくのが分かった。

もう受け身の姿勢では治らないので
宿の人に医者に連れてってもらった。

とはいってもかなりの距離だった。

歩くのがしんどくて何回も
座り込みたくなったが我慢した。

熱と頭と眼の奥の痛み、それに加え
発疹で顔と体中が痛くて熱くて
気が狂いそうだった。

外の最高気温は40だった。


病院に自分の体を見せたけど
入院はおろか、診察さえ
してくれなかった。

門前払いを2件連続でくらい
たらい回しにあった。

どんどん遠くに歩いて
絶望的な気持ちになった。

かなり歩いた先にあった
Sir Ganga Ram Hospital
やっと診察してくれた。

が、軽い問診で終わった。

明日、また来て
スキンオペディをうけろ
と言われた。

薬をもらうため病院内の薬局に、
医師からもらった処方箋のリストを出すと

「それらの薬はここにはない。どこか外の薬局で探してくれ」
と処方箋リストを突き返された。

突き返された拍子にヒラヒラと落ちたその紙切れを
拾う気力もなかった。

無感情でリキシャに乗った。


偶然も必然も意味もなく
神様とか試練とかも存在せず

知らない土地で病気にかかってしまった「事実」と
我が身に起こっている「状況」しかなかった。


今の自分の状況とは比べものにならない重病人が
ひしめき合っていた病院内の光景が甦り
かなり不安になった。色んなことを諦めそうになった。


ダークで冷めてはいるが、
かなり確信づいた悟りを開けそうだった。



舗装されていない道路の凸凹に
リキシャが何度も跳ねて、気を失いそうになった。
いっそのこと気を失いたかった。

リキシャが宿に着くまで意識を保つのがやっとで
果てしなく長く感じた。


意識があって起きているから
1秒1秒が残酷に長かったし
太陽の暑さは拷問だった。


宿の近くに来ても、降りるから止めてという
言葉を発せなくて、リキシャの肩を掴んで止めた。



身体を見せても医者に行け!と薬をくれなかった
ホテルの傍の薬局に再訪して薬をもらった。

処方された解熱剤は5分で効いたけど、
その更に10分後には熱があがってきて
薬負けして意味がなかった。

バナナを食べて薬を飲んで
その日は何とか一夜をやり過ごした。



●DAY39 /Delhi→Gurgaon (3.27)

次の日の朝、リキシャで昨日行った病院
Sir Ganga Ram Hospitalまでいった。

スキンオペディにいくと担当医は
感染するからホテルから出るなと
問診票の"ISOLATION"
二重線を引いていた。

病名は「chiken pox」と
なっている。

宿に帰り、妹に今の状況を顔写メ付きで
LINEでメールした。

すると「デング熱」か「チクングニア熱」
ではないかという素晴らしい解答をくれた。

今の自分の状況を医者に
すぐに説明できるように
ヒンドゥー語で説明した文章を
スクショで送ってきてくれた。





(そのスクショ画像↓)



そして別の友人も
デリーにあって評判の良い
大きな病院を教えてくれた。

妹も友人もメールで
励ましてくれて
本当に心の支えになった。

迷ってる暇はなかった。
その病院はここから遠いし、
その病院なら入院できるはず。

3日分の宿泊は残っているが
チェックアウトをする準備を始めた。

薬を飲んでこのホテルで
このまま寝てても
絶対良くならない、
と体が訴えていた。

3泊分の宿泊代をカードで先払いしてるけど
この際どうでもよかった。

荷物を持って受付に行き、病院で入院したいから今すぐc/oさせてくれと頼んだ。

宿の支配人はビックリしていたし
この宿の最寄りの大きな病院を
紹介したそうだったけど、
押し切ってチェックアウトした。

変な文章を書かされて
去り際にお金を渡された。
確認せずにカバンに突っ込み
MAX HOSPITALという病院
までTAXIで走った。

病院の場所がわからなかったので
地元の通行人を助手席に連れ込み案内させた。

案内してくれた彼にお礼に紙幣を何枚か
渡したけど拒否された。

無事MAX HOSPITALに到着した。

案内人に渡すつもりで取り出した紙幣をそのままドライバーに渡し
ダンニャバードと回くらい言って降り、
emergencyと矢印のある入口まで
早歩きで歩いた。


ここにきてようやく体温を測ったり血圧を測定したり
やっとまともな検査をしてくれた。

体温計の数値は101だった。

続いて診察があったけど
やはり入院は断られた。

放っとけば発疹は退くよ、
みたいな感じだったけど
必死に粘って懇願した。

診察してくれた医者は
少し悩んでいたけど
入院させてくれた。

感染の恐れがあるから個室でだった。

元々、入院させてくれるまで
土下座でも何でもするつもりだった。

この病院のために宿を引き払い
意味のわからない知らない町まできて
入院する以外の選択肢は捨てている。

入院できずにこの炎天下の中
また外に放り出されたら
5分先も想像がつかない。





体調を崩してから
治療に至るまでのプロセスが
果てしなく遠かった。





日本だったらとっくに2日前に
治療に入れてただろうと思った(笑)



●DAY40 /Gurgaon (3.28)

朝一の体温は98.5だった。
it's normal」と云われたけど
顔と頭と眼の奥の痛みが引かないので
点滴に痛み止めを注入してもらった。



朝ごはんは食べ切れなくて
半分以上残した。




便通が完全にストップしてるのでしんどかった。

毒素が身体から出ていってほしかった。

顔やカラダの発疹と便秘は悪く関係していると思った。

便通剤を処方してもらったけど効かないので
点滴用の翼状針が手の甲から外れてる
タイミングで下半身主体で腸ヨガをした。



主治医が「調子どう」と毎朝
顔を見にきてくれる。
身体の状態を伝え、
Wi-Fiが必要な状況だと伝えた。
家族と連絡をとりたい。
友人にもお礼を言いたかった。
ナースとの会話にも翻訳ツールがなくて
困っている。兎にも角にもWi-Fi
必要であると必死に伝えた。

すると
深夜脚立をのぼり天井蓋をあけて
Wi-Fi工事をしていた(笑)

主治医の権力なのか
とても献身的な病院なのか
次の日の昼過ぎに自分の病室から
Wi-Fiが繋がった。


Wi-Fiを繋げる瞬間、立ち合いに業者が病室に入ってきて
スマホに直接パスワードを入力してくれた。



その時、同じく立ち会っていた看護師が業者に向かって

「マスクしないと感染するよ。感染して平気なの?」
と言うと、


業者は「ヒェ~~っ」と慌てて出て行った。

コントみたいだった。



●DAY41 /Gurgaon (3.29)



@MAX HOSPITAL

入院3日目。




夜にしたヨガが効いたのか便通に成功した。
鏡で見た顔は相変わらずひどかった。

ナースに「ここはどこ?」ときいた。

激動すぎていま自分がどこにいるか
わからなかった。


どうやらニューデリーではなく、
Gurgaon(グルガオン)という地域らしかった。




自分どこの町の病院にいるのか
それが何処なのかもわからなかった。

それを気にする余裕が今の今まで
微塵もなかった。





●DAY42 /Gurgaon→New Delhi (3.30)

@MAX HOSPITAL

まだ発疹は引かないが
熱が下がり頭痛と眼窩痛も
治まってるので気分的にも
だいぶ落ち着いた。

主治医に以下の内容の手紙を書いた。

「今晩退院したいです。明日ネパール行きの
フライトがあります。ここから空港までの
行き方を教えて下さい。」

主治医の返事はOKだった。




入院の手続きの時、ピークに体調が悪く、
なかなか手続きが終わらないイライラと
病室に移動させてもらえない焦りから
担当してくれた紳士的なスタッフに噛みついてしまった。

病院を出る前に、噛みついてしまったその病院スタッフに
挨拶しようと思って入院手続きの窓口の方を見ると、
彼は次の患者の入院手続きで接客中だった。

諦めて出口に向かおうとしたら、遠巻きから彼と目が合った。

手を合わせ、口パクで「ありがとう」と言い
お辞儀をして去ろうとしたら、出口に向かう僕に向かって
立ち上がり手を添え大声で「ブラボー!!!」と叫んでくれた。







TAXIで行きたかったけど捕まらなかったので
地下鉄で向かう事に。

仕事あがりの看護婦さんを捕まえて
空港までの乗り継ぎを教えてもらった。


彼女は、電車のドアにもたれかかって
寝ている僕をつついて
「ニューデリーで降りるのよ。」
と、言ってから降りて行った。

優しい人だった。








●DAY43 /New Delhi→Katmandu (3.31)

出国検査で
「その顔はどうした?」
と訊かれてドキリとした。

答え方によっては
搭乗できないと思って焦った。

デング熱と言えば
出国の許可をくれないかもしれないし
水疱瘡といえばまた隔離と言われかねない。
隔離=飛行機に乗れない。
どうしよう。
適当に誤魔化そうか、
悩んだ挙句、

「治療は終わり、完治して退院しました。」
と言って退院時にもらったカルテの束を
見せた。

税関のおじさん
chiken pox」。。

とポツリと言い、
ハンコを押してくれた。


本当に焦った。

これが完治するまでインドに残らないと
いけないと考えたら気持ちが持たない(笑)




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旅行記06に続きます。