2017/04/17

インド旅行記 一人旅 01 ニューデリー/ ジャイプール/ アグラ/ バラナシ


個人でインドを訪れた際の旅行記です。





※記事が長くなったので、6頁に分割したのですが、
それでも本頁は8000文字近くになってしまいました。


一度に読むと大変と思いますので、
どうかご自身で負担が少ないように
閲覧して頂けたら幸いです。

(当頁は1/6頁目です。)






インドは好き嫌いが分かれると云われているし、

自分も例外なく嫌な目にもあったけど、奇跡が起こる国だと思う。



大変な事はたくさん有ったけど


今日明日インドに行く人達が

羨ましい。












<北>
ニューデリー→ジャイプール→アグラ→バラナシ
→ガヤ→コルカタ

<南>
ムンバイ→ゴア→ハンピ→バンガロール
→マドゥライ→カーニャクマリ→コーチン


(旅程43日間)



●DAY 01,02 /New Delhi (2/17,18)





空港に降り立ったのが深夜だったのでその日は空港泊して、

次の日の早朝、地下鉄で安宿街パハルガンジを目指した。









地下鉄のニューデリー駅からパハルガンジまでの
徒歩で行けるような単距離をタクシーに乗ってしまって
強面なドライバーに早速ぼったくりを見舞われた。


パハルガンジはカオスでハングリーな町だった。


路地は昼間でも薄暗く、危険な香りが露骨に出ていた。


暗い目をした子供に見られながら

水溜まりと野良犬を避けながら気を張って歩いた。



はじめの方は「すべて」において慣れていなかったので、
気を張ったところで散々空回りした。


信じては騙されたし、
歩いては迷ったし、
話しかけても言葉が伝わらなかったし、
何をしようとしても何一つうまくいかなかった。

お金を払った後の、「あ、ヤられた」
騙された。。何、今のやりとり?
え、なんで?高すぎる。
が、立て続けに発生した。

気づかなかった自分が情けなかったし
回避できなかった自分が悔しい。


ラウルという同い年のトゥクトゥクドライバーは
心の読めない奴だったけど信用してしまった。

適当に相槌を打っていたら色黒の売人が来て
狭い車内でネタを見せられ嗅がされた。



泊まった宿は、深夜に子供が火薬で遊んでいて
耳が破裂しそうな爆発音に何度も目が覚めたし

電話で呼び出された不機嫌で怪しい換金屋に
1000円分多めに渡してしまったし、

黄色のスイーツを食べてから吐き気が収まらなかった。






危機回避能力が低く、

防御が甘く、馬鹿すぎて、

コテンパンにヤラれるもんだから、


「ユーアーフレンド」

「ノープロブレム」

と言われただけで
胸ぐらを掴みにいきそうなくらい
神経が張り詰めた。


毎回毎回、見事に騙されるので
ひょっとして出会う全員がグルで
国単位で自分を騙しにかかっているのではないか、
とか途方もない勘ぐりもした。


「I have no money!」
「I can't pay any more!」
「You are crazy!」

は、もう言い飽きた。


恥ずかしい事に2日目にして大金を失ったし

情けないことに2日目にして心が折れかけた。



初インド、地図なし、フリーSIMなし、は
旅慣れてもない自分の身の丈からすると、
さすがに舐めすぎてたかな。。とかなり不安になった。




シク教寺院では、裸足になる必要があるので
サンダルをカラビナでデイパックに外付けして入場しようとしたら
サドゥーに腕を掴まれ「神への冒涜」だと退場させられた。







デリー>>>ジャイプール

デリーからラジャスターン州のジャイプールへ移動。







●DAY03 /JAIPUR (2/19)




ジャイプールの宿では弱冠のぬるま湯が出た。
3日目にして念願のシャワーができる、と
露店で1ルピー(2円)でシャンプーを買って
極めて水に近いぬるま湯で震えながら全身を洗った。

ドアの鍵が壊れて入れなかったり
宿の窓から外を眺めてたら
窓が外れて危うく落ちそうになったり
八百屋で野菜を見てたら
中から猫が飛び出してきたりしたが
ジャイプールはのどかで良い町だった。









砂埃舞う夜の小汚い道を
たくましく足早で歩くサリー女性の
唾を吐く姿にセクシーさを感じた。






●DAY04 /AGRA (2/20)


ジャイプールからアグラへ。



4日目になってトゥクトゥクとの戦いが
楽しくなってきた。

とりあえず、ふっかけられてる前提で
高いわ乗るかアホっと遇らうが
こちらも距離感が分からずに言っているので
基本的にモメる事になる。
お互い様である。

好きトゥクトゥクとの出会いでその日の
運命が決まる気がする。





タージマハルに入るときにセキュリティチェックに通したパックが没収された。

大きさオーバーらしい。周りの皆んなは確かに
手ぶらか小さいサブバッグであった。

パスポートとお金とカメラしか持って入ったらいけないと言われたが、南京錠もないし全部預けるとか正気の沙汰でないと思い、盗られてもいいものだけをデイパックに入れて預け、その他ほぼ全ての荷物をもらったビニール袋に無理やり入れて場内に持ち込んだ。

※入場料 1000ルピー(2000円)







タージマハルよりもアグラ城の方が、
人が少なくてゆっくりできた。

















●DAY05 /AGRA→VARANASI (2/21)

@AGRA FORT JN



因みにJNはジャンクションの略称。多分。


列車が来るまでの8時間、
駅の中で待ちぼうけ。






バナナを食べてたら駅にいる
猿に飛びかかられて
みんなに笑われた。
猿が3才くらいの子供に襲いかかろうと
奇声をあげながら近づいていったら
子供は持っていたペットボトルを
大きく振りかざして威嚇して
猿を追い払っていた。






●DAY06 /VARANASI (2/22)

今回、渡印した目的のひとつであるバラナシへ


アグラからバラナシへは
列車で12〜16Hくらい。





念願のバラナシ到着。




着いた日である今日はevening timeから
ガンガーでセレモニーがあるらしいので
行ってみた。






"DHRUPAD MELA"





色んな人がたくさんいて
愛でたい空気に溢れていた。

その愛でたい空気を創ってくれているのは
僕らtouristではなく、現地の人達であるのは
明確だった。

観光客が集まってゴッタ返そうが
カメラでパシャパシャしようが
いつもの様に儀式を神妙におこなってくれる
地元の人達に有り難みを感じる。












バラナシのレストランでポケットに入れていたスマホをスられた奴に出会った。

全く気付かなかったらしい。


かなり良い仕事をするスリ師がガンガー付近にはウジャウジャいるらしい。

自分はマネーポケットを持っていなかったのでiphoneと財布はパックに詰め込んで、前に抱いて歩いた。





ヴァラナシはリアルな町だった。

目にするもの、感じるものが
強烈で生々しすぎて
日本で平和に暮らしている今の自分には
すぐには処理できなかったし
まっすぐに受け止められる
自身の経験値も器もなかった。

でも目に焼き付けて
まっすぐに捉える事の方が
大事だと思い、
何を感じるか自問自答していた。



Varanasiの交通事情は
ありえないほどごった返している
タクシー、リキシャ、トゥクトゥク、
歩行者、自転車、地面を這っている者
道路を逆走しているバイク、
それぞれが自ら事故りに
突っ込んでいるようにしか見えない。


ヴァラナシのドライバーでさえ
Uターンや割り込みに30分くらいかかったり

しかめっ面して
「it's complicated.」
とボヤいたりしていた。


ヴァラナシに着いた初日である今日
事故現場に2度も立ち会ってしまった。

ドンっと鈍い音と共に
リキシャとタクシーに自転車が完全に
挟まれていた。

あ〜あ、と思ったが
次にそちらを振り返った2秒後には
示談が成立していた。

というか、事故という認識ではなく
ただ肩がぶつかった程度の認識かもしれない。

もう一件はバイカーが転倒して
ビタビタに尾けているトゥクトゥクが
それに突っ込んだ。
一瞬渋滞になり砂埃が舞ったが、
10秒後にはその転倒したバイカーが
自分でバイクをおこし
そのバイカーをオカマした
トゥクトゥクが追い越していき
それに続く後方の車やリキシャが
追い越していって事故は風化された。

因みにガヤで乗ったトゥクトゥクは
自分が乗っている状態で事故った(笑)
(ドライバーの急ブレーキにより
後続車がオカマ。自分は無傷。)





●DAY07〜10 /VARANASI (2/23〜26)

次の日の早朝、ガンジス川に
朝日を見に行った。



















帰ってからホテルのエントランスに
壁画を描くことになった。






ホテルのオーナーに
自分の事を色々訊かれたので、
自分の事を色々話しているうちに
自然な流れでそうなった。





(photo by Emanue Sandella)





ホテルがオープンしたばかりで、未施工の箇所もあり業者が出入りしていた。
壁画を頼まれた壁のちょうど制作面と、塗装屋の塗装対象の壁とバッティングしていた。

その関係で、作業スペースが近いのでお互いの作業を見て待つこともあった。

ライブペイントとか公開制作とか、
背中に視線を感じての制作がもともと得意でなかったのでやり辛かった。

塗料の希釈やベタ塗りなどを自分がしているところを
その手の分野のプロに見られて嫌だったけど、彼らには相当助けられた。


ハケから一本毛が飛び出してたら
近づいてきてそっと抜いてくれたり
ペンキを溢したら、自分のシャツを脱いで
そのシャツで床をゴシゴシ拭いてくれたりした。

油性塗料まみれになった
そのシャツはもう捨てるしかないのに。


彼らは職人気質で喋らなかったけど
終始優しかった。

日本と違い現場を養生しないスタイルも含め、
心強くてかっこよかった。











壁画を描くうえで、経費やお金の事はもちろん、絵のイメージに関しての話も全て英語でオーナーとやり取りしないといけなかったし、画材を持ってきてなかったので
現地調達になるのだけど、インドも都会といえど画材屋やホームセンターがたくさんある国ではないので、宿から買いに行ける距離の範囲内で買い物に行くので、当然手に入る画材や色数に限りが出てくる。

「有るもの」で「足らす」という、良い経験になった。

海外で壁画を描くのは初めてだったので、プレッシャーもあったし、
色々不慣れな点やピンチやトラブルもあったけど無事に完成できてよかった。









壁画が終わったので一息ついてリフレッシュしようと外に出た。








午後のガンガーの散歩














●DAY11 /VARANASI (2/27)

明日から次の土地に移動するのだけど、
長く滞在したので、流石に愛着が湧いて
出発が名残惜しかった。

インドに着いてから初めての感情だった。

明日の朝は早朝5時にチェックアウトするので
前の晩である今日、よく遊んでくれたホテルのオーナーの子供達に
ありがとうと別れのハグをしようと思ったら

「私たちも学校に行くから5時起きだから
明日の朝もまた会えるよ!」と言ってくれて
最後の最後まで可愛かった。





次に来た時はこの兄妹の好きな
クレヨンしんちゃんのグッズを
プレゼントしようと思った。








●DAY12 /VARANASI→GAYA (2/28)

"This is a Deep story"

バラナシには2つ列車の駅があって
今朝ガヤに向かって出発する駅である
ガンガーやバラナシメインストリートからは
20kmくらい離れている
MUGHAL SARAI JNという駅へと向かう。
同じ宿に泊まっていたイタリア出身の女性と
東京出身の男性もたまたまガヤに向かう
同じ列車を予約していたので行動を共にした。

朝一の7:00発の列車に乗って
ガヤに10:05着の筈が
駅のボードを見ると自分達の乗る
列車の番号と名前が
表示されていなかったので、
どうやら大幅の遅れのようだった。
列車の到着が10時くらいになりそうだったので、
周辺を散歩したり朝ご飯を食べたりして
時間を潰した。





自分達の乗る列車の5ケタの数字
と列車名"JHARKHAND EXPRESS"が
やっと表示され、
列車がくるPF(プラットフォーム)もわかったので
駅の中に入り、指定のPFで待機した






遅延を教示するボードの「LATE」が初め
3Hだったのに最終的に6Hまで延びた。 
そしてその辺りからボードに自分達の
列車の番号がなぜか表示されなくなった。

そして14時近くになった頃
悲しい事実が発覚した。

自分達の列車はPF変更になり、もう発車したそうなのだ。

PF変更の際はアナウンスされてると思うけど聞き取れないので、ボードから自分が乗る列車番号が消えた事に直ぐに気付き、他のPFのボードに目当ての列車番号があるか歩きまわって確認するか、入り口にある全列車の情報が表示されるメインボードのところまで確認しに戻って、再び変更されたPFに入り直すしかない。
これに対応するには慣れてないとかなりキツイ。

折角取り押さえた予約席がパァとなり
愕然としたけど、切符を買い直すしかないので
1番安い一般車両の「ジェネラル」という
自由席の切符(90ルピー)を買い、
次の列車を待った。

次の列車は16:50発だ。

朝から7時間も
駅の中で待っている身からすれば
次の列車までの待ち時間なんて短く感じた。

次はPFの変更にも気づけるように
すべての列車のPFとLATEが表示されている
駅の外の大きいメインボードの前で
時間を潰した。






因みに東京の男性は本当は昨日も
この駅に来てガヤに行くつもりが
列車を乗り損ねたそうだ。

彼曰く乗るべき列車の5ケタの数字が
列車自体に記載されていなくて不安で
近くにいたローカルに訊いたところ
この列車は違っていて次に来る列車が
正しい、と言われて信じたら
過ぎ去った初めの列車が彼の予約した
列車だったらしい。
災難極まりない。

その後トゥクトゥクでその列車を追いかけたらしい。笑

追い越し先回りして次の駅から乗ろうと思ったみたいだけどさすがに無理だったみたいで
トゥクトゥクで引き返し、想定外の出費をし
チェックアウトしたはずの宿に戻って
もう一泊した、という流れだ。

そう考えると彼のこの流れは
精神的にも結構キツイと思う。

予約席を2度、失っている。

しかし当人の彼は
良い経験だよ、と笑っていた。

東京出身のハヤミ君は
院卒でまだ若いのに
大らかで余裕があって
しっかりした男だった。

かなり好感と尊敬を持てた。
一緒に居ても楽しかった。


そして肝心の列車はというと
なんやかんやでガヤ行きの列車の遅延は
1.5Hとなっていた。18:20発だ。





長い待ち時間だったので3人で色々話した。
初めはそれぞれのプライベートについて
話していたけど、そのうち
人生観や価値観などといった濃い話に
なっていった。
イタリア出身のマノちゃんは子持ちの40代で
独自のphilosophy of her lifeを
たくさん語ってくれた。

他人との関係の在り方とか
理解しあう事の難しさ
自分なりの幸せとは何か、とかである。
勿論会話は英語になる。
特に僕が英語が頼りないので
お互いが理解しあうまで紙に書いて説明したり
ハヤミ君に通訳を頼んだり(情けない。。)
ジェスチャーで身振り手振りで説明したりして
妥協せずにちゃんとディベートした。




(マノちゃんメモ↓)




深い話になっちゃったね、
と言い合って笑った。

各々のdeep storyを聞けて良かった、とも。

そして列車を乗り過ごした者同士が
駅でこんな話をしているこの事自体が
"This is a Deep Story"
だね、と誰かが上手いこと言った。







18時を回って指定PFで待つ。
19時を回る。20時を回る。

13H以上駅にいて日の出と日没を見た。
結局今日も一日終わっちゃったなー、
と彼は笑った。

そしてまたもやPFの変更。
同じくガヤに向かう現地人が教えてくれた。
(教えてくれないと気づく由がない)

変更したPFに21時ごろ列車がきた。

現地人が現地仕込みの乗り方を
レクチャーしてくれるので
追っかけながら
列車と共に並行して走った

ここに飛びのれっというが
人が溢れ出して3人はさすがに
潜り込めないので各々散り散りになった

ガヤまで4〜5時間の乗車時間とはいえ
東京山手線の出勤ラッシュの1.8倍程のこの
凄まじい圧迫地獄では
呼吸困難になってしまう。
気合いとか忍耐という域を優に超えている。

ガヤ行きの現地人は自分たちの
無理を察してくれ
SLEEPERに滑り込め、という。

スリーパーとは予約席ベッド車両だ。
そこに無理矢理潜り込み
車両には入れずにトイレの前の
連結部におさまった。

立ちっぱなしはさすがにキツかった。
座り込みたいがちょうど洗面所の前なので
さすがに迷惑だと思い遠慮した。


ガヤ駅に着いたのは日が跨いだ。
もう疲れていて駅に着いたときの記憶がない。

覚えているのは
ガヤの駅に足を
踏み入れた瞬間、3人で手をとりあって
心の底から喜んだ。

他人の心だけど、
2人とも自分と
同じ思いに感動していると分かった。

バラナシからガヤへの移動の壁は
大きかった。

僕と彼女は一日がかり
彼に関しては丸々2日かかった。

また、3人でこの苦労を共有できた事は
なんとも言えない幸福感だった。


駅の出口に向かっている途中で
誰彼からかは決まらず

「This is a Deep story」

と言って笑いあった。

足取りが軽かった。





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旅行記02に続きます。